「危機を乗り越えた企業たち」を神田榮治氏が発刊されました。

      「神戸から東北へのメーセージ」 東日本大震災からの復興へ

     今こそ生きる教訓を  「東北 頑張れ!」
   
                          平成25年2月25日発刊
 危機を乗り越えた企業たち
 神田榮治氏          クリックしてください。(本誌の一部を紹介)
  

花は花は花は咲く

きっとみんなで花を咲かせましょう
                    
 
この度、「危機を乗り越えた企業たち」発刊に当たり、神田様からの取材を受けました。本当に18年も経過していることに驚くほかありません。阪神大震災は「未曾有」の災害であると誰もが思っていました。当日の朝、私はお味噌汁を炊いておりましたところドーンと下からの突き上げと同時に電気が消え真っ暗な部屋の中を手探りでガスストーブを消そうと探しましたがなかった。歩いているのに足が地に届かない感じの中、2回3回と突き上げられた。恐らく大きな爆音と共に3回目の時に自宅前の171号線の高架が落ちたと思います。とにかく家族に声をかけたいのに声が出なかった。絞り出してようやく「みんな大丈夫か」が精一杯だった。やっとの思いで、家族揃って道路に出ると「道がないぞ」とダンプの運転手さんが大声で言っていました。その横を乗用車がすり抜けて道を登っていき、目の前で頂上から落下しました。ようやく「道がない」という日本語が理解出来ました。直ちに道路を封鎖しました。又探していたガスストーブは3m程、移動してひっくり返ったピアノの下敷きになっていました。7時すぎに西宮市から出動要請が社長の携帯にかかってきました。「機械をすぐに出して人名救助をして欲しい。」との連絡だった。社員も怪我をしながらも出社してくれて、早速取り掛かった。自走式で走れるクレーン車とタイヤショベルがとても有効だった。人名救助が昼夜を問わず2週間くらい続いたと記憶している。その後復旧・復興作業へと移行していった。隣同士でも、潰れている宅地と潰れていない宅地があり、作業を通じて安全な設計と施工の重要性を再認識しました。神田様とは、兵庫県主催の「第一回ひょうご経営革新大賞」受賞式で井戸知事と共にお会いしました。井戸知事と神田産業労働部長より「こんな中小企業が兵庫県からもっと出てほしい。頑張れ」と直接エールを送って頂きました。神島組は、「必要とされる企業」を目指し、建設業者としての本質を外さず、常に自社機械を保有し・自社施工にこだわり、不屈の精神で信念を貫いて来たことが、震災をも乗り越える原動力となり、結果的に特許開発に繋がったと思っています。大抜擢から早や11年が経過しました。表彰当時3件だった特許も33件まで増え、最近では、兵庫県の設計書にも採用されるようになり、全国的な展開になってきました。特許侵害等も十分に留意して、今後も「岩盤掘削日本一」という大きな夢に向かって頑張っていきたいと思っています。東北大震災は、私共の経験とは比べ様もない災害規模で、失礼ながら当初は本当に映画の1シーンとしか思えませんでした。東北地方は世界でも有数なモノづくりの地域であったと聞き及んでおります。簡単なことではありませんが、「復興」を信じてやみません。神田先生の著書が一助になればとお祈り致します。きっと、綺麗な花を咲かせましょう。


総務部  神島充子